―――バーの扉をくぐる。

 古色蒼然とした飴色の扉をくぐれば、其処は酒と煙草が甘く香る。

 帽子かけに脱いだ物を引っ掛けると、自身が下戸である事を悔やみながら、カウンターに座った。

「あーっ……と」

 右肩越しに、ぐるりと店の中を見回す、目的の人間をロベルトは探していた。

(先に来ているはずだったよな?)

 一通り見回してみるが、見つからない。

 遅れる事の無い男だ、違和感に首をかしげる。小さくため息をついて視線を正面に向けたとき、右側から声を掛けられた。

「―――ロベルト」

「……おいおい、其処は今さっき見たばっかりだぜ?」

 つい数秒前―――否。ほんの瞬く前まで、その席には誰も居なかった。

「見ろ、バーテンだって驚いてるじゃねえか」

 まるでコマ落としの映画のよう。それこそ風の様に現れた男を見て、バーテンが驚愕の面持ちで手に持った物を取り落とす。

 グラスの砕ける音に顔を顰めながら、ロベルトは向き直った。

 ぐっとバーボンを切嗣が呷る、錆び付いた声で彼は言った。

「気にしてもしょうがないだろう」

               ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「はッ―――気にしてもどうにもならないの間違いじゃないのか?」

「違いない」

「人事みたいに言いやがって―――で、ビジネスだ」

 


 一枚のポートレイトを、ロベルトは滑らせた。

「―――ナタリー・オールドマン?」

「そう、ジョナサンの隠し子だな」

「そうか」

 先に頼んでおいたミルクを呷った。口髭が白く染まる、渋い容貌が台無しだ。

 ぐっと乱暴にそれを拭うと、カウンターに勘定を置いてロベルトは立ち上がった。

「詳細は裏に書いてある。有効に使え」

「ありがとう」

「仕事だからな」

 そっけなく礼を言う男に、指を二本立てて挨拶をする。

 ドアの脇まで歩き、トレードマークである鍔広の帽子を被ると、思い出したように戻ってきてカウンターに百ドル紙幣を置いた。

「これでグラスでも買いなおすんだな。―――おい、元はと言えばお前のせいなんだから―――」

 そう言って切嗣に目を向ける―――

 が、其処にはもう、勘定しか置かれて居なかった。

 店内を見回すが何処にも居ない。

(ドアが開閉する気配すらなかった)

「……もう居ねえ」

 肩をすくめると、百ドル紙幣をもう一枚取り出す。

「アレぐらいでグラス割ってちゃいけないぜ」

 そういってロベルト・シュパイエルファルツは扉を開ける。煙草を取り出し、靴の裏でマッチを擦る。煙草をくわえて歩き出した。

「―――もうじき夏になる」

 見えない星を眺めながら、長く煙草の煙をたなびかせた。

(仕事は跳ねた。後はゆっくり眠るだけだ―――)

 それが、一月前の事だった―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       『A good & bad day 2.』
                         Presented by dora

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2/

 デートの後、男は自然とナタリーの部屋に居座った。気が付くと庭に住み着いている猫の様だ。

 違和感の無さにこちらが驚くほど。

 定位置は出窓の台で。

 本当に猫の様、其処から街を眺めるのが好きなようだった。

「ねえ」

「ん?」

 彼の穏やかな―――いっそどこか抜けた―――表情に笑顔をつられる。

 遠くを見つめる様な彼の視線は、まるで体の奥の心を直接射ているようだ。

 気になるような、気にならないような。むず痒い好奇心に駆られて―――

「キリツグは、何をしている人なの?」

 ―――そんな幾度目になるかわからない質問をした。

「魔法使い」

「茶化さないで」

 ぴしゃりと言い放つと、困ったように腕を組んで唸る。そのわざとらしさが、何故か微笑ましい。

「……じゃあ、便利屋。困った時の味方」

「具体的に言うと?」

「正義の味方」

「ちっとも具体的じゃないわ」

「上手く説明できないよ」

 彼が居座ってからの一週間。毎日似たような問答が続いている。

 それでも、ぽつぽつと教えてはくれているようで。

 彼の話は嘘くさかった。

 それこそ魔法使いでもならないと出来ない事。それを、仕事にしているというのだ。

「なんと言ったものか……」

「……まあ、いいわ」

「ごめんね」

 気弱に微笑む彼。

 その笑顔が、追及の手を止めてしまう。

「じゃあ、私も助けてくれる?」

「困っているなら。―――さしあたりは、そのお皿を下ろすことからかな」

「お願い」

 椅子の上から降りる時は、腰に手が添えられて。

「はい、これかな」

「そ、ありがと」

 受け取ろうとしたお皿は、そのままキッチンまで運ばれた。

(抜けたところの無い……)

 良い男だ。

 そのくせ結婚とか。

 お付き合いとか。

 そんな事をまったく考えさせない、ネコの様な居候だ。

 


「Oh―――」

「どうしたんだい?」

 困った。パスタをゆでようと思ったら、オリーブオイルが切れている。

 空のビンを振って見せると、男はひょいと肩をすくめて玄関に向かった。

「僕が行ってこよう」

 扉が閉まる。ついでにレタスを頼もうと思って追いかけるが、こちらが止めるまもなく彼は階下に消えていた。

「……相変わらず素早いわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 〜Interlude in〜

 通報を受けて、駆けつける。

 車から降りると、ジョナサンは震える手で被せられたシーツをめくった。

「おお、おおお……ロイ……」

 それは、間違いなく二人目の息子の顔で―――

 ―――白昼の大通り。人通りは途切れることなく、視線もなくなる事は無い。

 次男のロイが殺されたのは、スナイピングでもなければ、暗殺など不可能とされるような時間だった。

「―――死因は至近距離から心臓に受けた銃弾です。みぞおちから心臓に抜ける角度、服に焼け焦げた創がある事から察するに―――恐らくは顔が触れるほどの距離からの一撃でしょう」

「馬鹿な……」

 目撃者を全て消すことなど不可能だというのに。

 取り巻きの人間も居たというのに。

 誰一人として、彼が撃たれたのを見たものが居ないのだ。

「馬鹿な……」

 まるで幽霊に殺されたかのように、ロイは死んだ。

「馬鹿な……」

 呆然と呟くと、自失の態でジョナサンは車に乗り込んだ。

 〜Interlude out〜

 

 

 

 

 

 

 

 


 料理はシンプルな物ほど素材の味が生きる。

 それがナタリーの持論である。故に―――今日もシンプルなぺペロンチーノが食卓に並べられた。

 ガーリックとオリーブオイル、それと、バジルの香りが胃袋を狂喜させる。

 白ワインで軽く口を湿らせた後、唐辛子のピリリと効いたそれを口に運んだ。

「うわ、美味しい!」

 あっさりした塩味が。

 オリーブのコクが。

 ガーリックの旨味が。

 パスタの甘みと絶妙なバランスで組み立てられている。

「ふっふーん、良いでしょ?」

「うう、こんなに美味しいのは食べた事が無いよ」

「まったまたぁ、ホントに?」

「もちろん!」

「キリツグは、私を喜ばせるのが上手い」

「ホントだって!」

 彼と居る時間、ナタリーは常に上機嫌だった。

 恐らくは、これが幸せなのだろう。そう思えるほどに、日々が充実している。

 


「なんか、外が騒がしいわね」

「んー?」

 昼食終えて、居眠りをする彼の傍へ。

 体を乗り越えて窓を覗くと、向こうのほうに人だかりが見える。

 黒塗りの車が、一台その中から出て行った。

「どうしたのかしら?」

「……んー」

 テレビをつける。もしテロの類だったら近付くだけで標的になりかねない。

 CNNが、殺人事件の報道をしていた。

「やだ……」

「物騒だな」

 どうやらこの近くで起きたらしい。

「うっかり標的にされたらと思うと眠れないわね……」

「まったくだ」

 痛ましい顔で切嗣が呻く。

「犯人は捕まっていないのかしら?」

「そうみたいだね―――ああ、ほらテロップが」

「どれ?」

 殺害方法は不明。

 そんな情報は知っても仕方ないだろうに。そう、思いながらナタリーはテレビを消した。

「ちょっと電話かけてくる」

「え、家の使えば良いのに」

「ついでにライター買って来るから」

 そう言って、彼は再び表に出た。ひょいと、一度だけ扉の向こうからこちらを覗き。

「夕方には帰るから」

 と、一言残した。

「……危ないから出歩かない方が良いって言えばよかったかな」

 頬杖を突いてため息を吐く。さて夕食は何にしようか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜Interlude in〜

「調べろ! どんな小さな情報でも構わない!」

 屋敷にジョナサンの怒号が響く。

 ロイが殺された四時間後、我に返った彼は、精力的に情報収集に努めた。

「銃器と……恐らくは固有時制御だ! 該当する執行者は誰だ!」

 部下が必死につてに連絡を取る。

 有名では在るが、実態が知れない。それが、腕の良い執行者の実情だ。

 故に、調査は困難を極めていた。

「親父!」

「今はマスターと呼べ! なんだ?」

「Ah……タレこみが……」

「なに? 貸せ!」

 三男から電話をひったくる。

「Yes?」

 錆び付いた声が、受話器の向こうから聞こえてきた。

 

 

 

 

『―――信じる信じないは勝手だが、サンボブソン通りのC−42番にあるビルだ。行ってみると良い』

 

 

 


「お前は?」

『タレこみ屋だ、報酬はスイス銀行#$%&−%$&#番に振り込んでくれ』

「良いだろう、裏が取れたら振り込んでやる」

 そう言うと、ジョナサンは電話を切った。

「スティーヴ! 二十人程連れて制圧に向かえ!」

「解った」

「スティーヴ! はいマスターだろう!」

「おいおい親父、今はそんな事言ってるときじゃないだろうによ」

 呆れた顔をしながら、スティーヴは車に乗り込むと現地に向かった。

 

 

 そこは、十年ほど前に大火事によって放棄された一角。

 何かが潜むには、うってつけのゴーストタウン。

「何か……居やがるな」

 煙草の煙をたなびかせながら、スティーヴは目標のビルを見上げた。

 タレこみの通り、確かにビルの中には人影がある。割れた窓の向こうに、ちらちらとそれが踊った。

「二班編成しろ、十人は俺と中へ。残りは外周を固める」

「了解」

 スラムにはびこる人間に、魔術師とマフィアの区別など無い。

 いかに自身の邪魔をされずに生きるか。それの目的が少し違うだけで、手段は同じだ。

 唇の片端を持ち上げながら、銃のスライドを引く。腰の短剣に魔力を通し、電撃の媒介に稲穂を出す。

「行くぞ」

「は」

 入り口のすぐ奥から階段になっている。奥は暗いが、暗視の呪文は唱えてある。猫科の虹彩を得て、忍び足で階段を上る。

(三階建てのビルだ、目標の影は二階)

 すぐ近くに居る。そう考えながら、スティーヴは緊張に唇を舐めた。

 長兄も次兄も、凄腕の魔術師だった。自分が兄に負けるとは思っていない。が、敵の強さが計り知れない。

 ふつふつと沸くアドレナリンが、心地よかった。

(……ヤベエな、チビリそうだぜ)

 恐怖でか、武者震いか。膝が笑い出すのを必死に堪えて階段を登る。と―――

 ―――かたり。

「――――!?」

 引きつった顔で銃口を向ける、果たして其処に居たのは―――

「―――なんだ、ネズミか」

 緊張がどっと緩む。

 パイプの上を、ネズミが走り抜けた。敵ではなかったことにほっとし、額に手をやって、かいた汗の量に驚いた。

(……ふーう、これじゃ二階に行くまでにイッチまいそうだぜ)

 見れば、部下も緊張に汗をかき、今の音にはかなりの動揺を誘われていた。

「おいおい、しっかりしてくれよ?」

 人望はある。

 笑いかけると、それぞれが強気な笑顔を返してくれた。

 


「さて、狩に行こうぜ」

「いいや、此処までで充分だろう」

 


 がちり、と。

 撃鉄の上がる音。

 壁の向こうから、後三段上って左に入った辺りから声が聞こえた。

 緩んだ緊張はマックスまで跳ね上がり、舌の根が一気に乾いた。

「う、う……うおおおおおおお!」

 すくんだ体に気合を入れる。

 張り付いた壁から離れ、一気に階段を駆ける。まずは、扉の反対側へ―――

「ジョイ! グレネードだ!」

「は!」

 部下が手榴弾を部屋に放り込む。これで殺れるとは思っていないが、牽制程度にはなるだろう。

「3,2,1―――Go!」

 放り込んだ。瞬間、ガラスの割れる音が聞こえる。

(外に飛んだのか?)

 愚かな。外にはまだ、十人包囲に残してある。

 手榴弾が破裂する。直後に部屋に踏み込み―――割れたガラスの向こうで静止する男と目が合った。

「Fuck―――」

 銃口はこちらを向いていない。

 階下の部下の銃弾は、男が正しく落下した時に居るであろう位置を蜂の巣にした。

 笑っている。

 男は笑っている。

 その手に握られているのは―――ライターサイズの何か。

「―――You」

 それが何か理解する前に、轟音と共に天井が加速しながらスティーヴを押し潰した。

 


 

 爆薬を仕掛けたのは一階と三階。

 自身の時間を制御し、空中で爆風をやり過ごした。

「―――」

 ―――後、二人。

 煙草をくわえると、切嗣は夕食の事を考えて暗い面持ちになる。

 人を殺した後に食う飯が、美味い筈が無い。

 仕事と割り切りながら、割り切れない何かを紫煙に熨せて空に流した。

 一度空を見上げると、衛宮切嗣は肩をすくめて歩き出した。

 〜To be continue.〜









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